ここらオタクイズ vol.09「ドナルド・キーンさんって知ってる?」答え(2021年11月号掲載)
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vol.09「ドナルド・キーンさんって知ってる?」の答え
柏崎に記念センターがあるこの方、日本を愛した人でした
出題者:ドナルド・キーン・センター柏崎
Q1.ドナルド・キーンさんとはだれ?
①アメリカ前大統領 ②日本文学研究者 ③アニメキャラクター
【答②】日本文学研究者
1922年ニューヨーク生まれ。日本文学研究者・文芸評論家。コロンビア大学名誉教授。1940年、18歳の時、アーサー・ウエーリ訳『源氏物語』に感動。以来、日本文学や日本文化の研究を志し、第二次世界大戦終了後、コロンビア大学大学院で角田柳作のもとで研究を再開、ケンブリッジ大学で教鞭を執った後、1953年に京都大学大学院に留学。アメリカ帰国後、コロンビア大学で日本文学を教えながら古典から現代文学にいたるまで広く研究し、海外に紹介。日本文学の国際的評価を高めるのに貢献。2002年に文化功労者、2008年に文化勲章を受章。2011年3月の東日本大震災後、日本国籍取得を表明。2012年3月、帰化申請が受理され日本人となる。日本国籍取得後の正式名はキーン ドナルド。2019年2月24日、家族に見守られて逝去。享年96歳。主な著書として『日本文学の歴史』全18巻、『明治天皇』等多数。
Q2.1940年ニューヨークでキーンさんが購入した本はなんでしょう?
①源氏物語 ②平家物語 ③日本書紀
【答①】源氏物語
1940年、タイムズスクエアの本屋で2冊の本が目にとまり、値段を見ると49セント、キーン先生は買い物だと思った。それが『源氏物語』でした。日本文学とキーン先生の初めての出会いで、「私は、『源氏物語』に心を奪われてしまった。アーサー・ウエーリの翻訳は夢のように魅惑的で、どこか遠くの美しい世界を鮮やかに描き出していた。私は読むのをやめることが出来なくて、時には後戻りして細部を繰り返し堪能した。」(『ドナルド・キーン自伝』角地幸男訳 中公文庫)としています。
Q3.キーンさんが日本人捕虜のために開いたレコードコンサートはハワイ収容所のどこで行われた?
①シャワールーム ②大広間 ③体育館
【答①】シャワールーム
太平洋戦争中、海軍日本語学校で日本語を学び、情報士官としてハワイに派遣されたドナルド・キーンの任務は、ガダルカナル島で米軍が入手した日本軍に関する書類や日本兵の日記の読解、捕虜収容所での日本兵の尋問などでした。ある日、尋問を通して親しくなった捕虜の一人から、西洋のクラシック音楽が聴けないのが淋しいと打ち明けられ、ハワイ収容所のシャワールームでレコードコンサートを開き、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄(エロイカ)」や日本の流行曲などを流しました。
Q4.留学時代、京都で同じ下宿に住み、その後生涯の親友となった人はだれ?
①永井荷風 ②永井道雄 ③永井豪
【答②】永井道雄
永井道雄(1923~2000)は日本の教育社会学者。文部大臣(第95代)。1953年、念願の日本留学(京都大学)を果たしたキーン先生は、京都の今熊野に下宿を定めました。その下宿、奥村邸にアメリカ留学を終えて帰国した永井道雄が入ってきました。キーン先生の部屋は離れの無賓主庵、永井さんは母屋でした。ある日、下宿の奥村夫人の計らいで二人は夕食を共にし、その晩以来、二人は生涯の親友となりました。
Q5.ドナルド・キーン・センター柏崎設立のきっかけともなった、古浄瑠璃「越後國柏崎 弘知法印御伝記」の台本を1962年早稲田大学の鳥越文蔵先生が発見したところはどこですか?
①故宮博物館 ②正倉院 ③大英博物館
【答③】大英博物館
1962年、早稲田大学の鳥越先生は大英博物館(ロンドン)で、日本には現存しない幻の古浄瑠璃の台本を発見しました。その後の調査で、この古浄瑠璃は近松門左衛門の初期の名作「出世景清」が上演されたのと同じ1685年、日本橋の説経座で江戸孫四郎によって上演されたことが判明。そしてその台本を、オランダ商館付のドイツ人医師、エンゲルベルト・ケンベルが1692年、日本を離れる際に船の積み荷の下に隠して長崎から海外に持ち出したものと分かりました。
Q6.ドナルド・キーン・センター柏崎はいつ開館しましたか。
①1993年9月 ②2003年9月 ③2013年9月
【答③】2013年9月
ドナルド・キーン先生は、世界に日本文学や日本文化を伝える発信者であり、ニューヨークの書斎は、その発信基地でした。2011年3月11日、未曽有の災害をもたらした東日本大震災が起こった後、キーン先生は、被災地で懸命に生きる人々の姿を見て、「いまこそ、日本人になりたい」と日本国籍取得の決意を表明しました。しかしそれは、ニューヨークの書斎がなくなってしまうことを意味していたのです。この事実が「ドナルド・キーン・センター柏崎」設立構想の大きなモチーフとなったのです。キーン先生と柏崎市民との間には、2007年以来、古浄瑠璃「越後國柏崎 弘知法印御伝記」の復活上演活動を通して育まれてきた絆がありました。その絆の上に、市民を中心とした文化活動の発信基地として、「ドナルド・キーン・センター柏崎」が設立されることになったのです。