ここらオタクイズ vol. 28「親鸞聖人(しんらんしょうにん)ってどんな人?」答え(2023年6月号掲載)

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鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家「親鸞聖人」についてのクイズです。
出題者:上越市五智歴史の里会館

Q1.親鸞聖人が越後に来た理由は?
①布教のための旅行で越後に留まり住み着いた  ②師と仰ぐ法然上人から越後布教を命じられてきた  ③罪人として越後に流罪になってきた

【答罪人として越後に流罪になってきた

親鸞聖人は幼名を松若丸といい9歳から比叡山で修行され、29歳のとき専修念仏を説かれていた法然上人の弟子となられ専修念仏の教えを広めましたが、仏教界から批判を受けたことで専修念仏が禁止され、ついには罪人として都から越後国の国府に流罪となられたのです。

Q2.親鸞聖人の住んでいた場所はどこ?
①竹之内草庵  ②湯畑草庵  ③御館草庵

【答竹之内草庵

親鸞聖人は船で居多ヶ浜に上陸されました。ここは「親鸞聖人上陸の地」として展望台が整備され、親鸞作と伝わる座像が安置されている「見真堂」があります。親鸞聖人が最初に住まわれたのは今の五智国分寺の境内に史跡として残る「竹之内草庵」だと伝えられています。草案は竹林に囲まれていたためこの名がつけられたそうです。国分寺境内に草庵の跡を示す「竹之内草庵跡石碑」があります。

Q3.親鸞聖人はどのような生活をしていた?
①約役人に監視され狭い部屋に閉じ込められた地獄生活  ②近くに外出はできたが粗末な衣食で極貧生活  ③おおむね自由に越後国内を歩きながら布教活動ができた

【答おおむね自由に越後国内を歩き回布教活動ができた

親鸞聖人は役人に監視されながら不自由な生活を強いられたと思いがちですが、実際はそうではなったようです。妻の実家などから援助を受けて決して豊かではないが不自由のない生活であったと推測されています。越後各地で布教もできたようで越後各地に「親鸞の越後七不思議」の伝承があることからもそれがうかがえます。