ここらオタクイズ vol. 33「妙高高原温泉郷って知ってる?」答え(2023年12月号掲載)

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7つの温泉地がある「妙高高原温泉郷」についてのクイズです。
出題者:妙高高原 観光案内所

 

Q1.妙高山麓にある「妙高高原温泉郷」の別名は何?
①七夕の湯  ②七五三の湯  ③節分の湯

【答】七五三(なごみ)の湯

妙高高原温泉郷には、7つの温泉地(赤倉温泉、新赤倉温泉、池の平温泉、妙高温泉、杉野沢温泉、燕温泉、関温泉)、5つの泉質(単純温泉、塩化物泉、炭酸水素塩泉、硫黄塩泉、硫黄泉)、そして3つの湯色があることから別名「七五三(なごみ)の湯」と呼ばれています。

Q2.妙高高原温泉郷の3つの湯色とは、赤色、白色のほか、あと1つは何色?
①緑色  ②黒色  ③黄色

【答】黒色

池の平温泉の一部は、日本でも極めて珍しい黒色の湯が特徴。黒泥湯と呼ばれ、硫黄成分を多く取り込んでいます。赤色の湯は、関温泉。鉄分を多く含んだ温泉が空気に触れると酸化して赤や茶褐色に変色します。白色の湯は、燕温泉。硫黄成分が酸化してできた湯の花によって白濁したような白色に変色します。

Q3.妙高高原温泉郷のうち関温泉と燕温泉はある僧によって発見されたとされています。その僧とは?
①弘法大師  ②伝教大師  ③日蓮聖人

【答】弘法大師

妙高高原温泉郷最古の湯と言われる関温泉は、弘法大師が開き霊峰妙高の神仏が入浴されたと伝えられる神秘の湯。上杉謙信の隠し湯としても知られています。

Q4.赤倉温泉は江戸時代(1816年)に高田藩が運営する国内唯一の藩営温泉として開湯しました。この時、初の温泉奉行となった人物の名は?
①中嶋源八  ②榊原政令  ③松本斧次郎

【答】松本斧次郎
江戸時代文化11年(1814年)、村民代表として庄屋の中嶋源八らが中心となり、役人松本斧次郎を介して、越後高田藩主榊原政令(さかきばら まさのり)に、温泉場開発の願いを出しました。当時、妙高山は宝蔵院が管理し、入山すら禁止されていたのです。そこで、温泉買い入れ金800両、打撃が予測される関の湯(現関温泉。これも宝蔵院の領地)への迷惑料300両を宝蔵院に支払うことを条件に、文化12年に許可を受けました。米一石一両の時代に、実に1,100両もの出費でした。そして、文化13年(1816年)3月より着工し、同年9月下旬に温泉引湯に成功し、湯船2箇所の共同浴場ができ、入浴できるようになりました。引湯にあたっては、佐渡、越中より取り寄せたと言われる大竹や自生する木で、妙高山地獄谷より6~7kmの距離を結んだという今では信じがたいほどの大事業です。その間、総経費として、3,120両2朱余がかかり、拝借米2,000俵、続く温泉宿の建設や新田開発の費用が2,161両となった、まさに高田藩の命運をかけての壮大な開発事業でした。その後、松本斧次郎は、初の温泉奉行となり、赤倉温泉は我国唯一の藩営温泉となりました。赤倉温泉の誕生は、日本初の「第三セクター」と言ってもよいでしょう。「殿様が造った温泉郷」とも呼ばれています。