ここらオタクイズ vol. 29「瞽女(ごぜ)のこと、知ってる?」答え(2023年7月号掲載)

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江戸時代~昭和39年まで活動した盲目の女旅芸人「瞽女」についてのクイズです。
出題者:瞽女ミュージアム高田

Q1.瞽女は1年365日のうち何日旅をしていた?
①300日  ②200日  ③100日

【答】300日

1年の旅のスケジュールはきちんと決まっていました。300日、村から村へと農山村を旅して「唄」という娯楽を運んでいた瞽女さんに対して農山村の人々は畏敬の念をもってその来訪を待ち望んでいました。裕福な農家は瞽女さんを迎えるとお風呂や食事の世話まで無償で提供し、その晩は村中の人を寄せて唄を披露させました。そんなことから農山村の人達に比べて、高田の町に住んでいる人々にとって瞽女さんのイメージは、ただ目の見えないかわいそうな人と思っている人が多いのにも納得がいきます。

Q2.親方の家に弟子入りする年齢は、おもに何歳くらいの時だった?
①18才  ②12才  ③6才

【答】6才

瞽女さんの唄や語りは多彩です。江戸中期に三味線を伴奏するようになってからも、その多彩さはかわりありません。6才の頃から弟子入りして唄と三味線を覚え始めないと、覚えきれません。レパートリーは行く先々の土地や村人の要求にこたえられる以上に豊富でした。稽古は朝起きてから寝る迄、旅をしながら、冬は窓を開けて喉を鍛え、常に親方から弟子へ耳聴口伝で伝えられていきました。杉本キクイさんは「祭文松坂」とよばれる神仏の縁起や功徳を七五調で唱えた段物だけでも50段以上そらんじており昭和47年に国の重要無形文化財に選択されました。有名な演目には「山椒大夫」「苅萱」「信徳丸」「葛の葉の子別れ」「佐倉宗五郎」「八百屋お七」小栗判官照手姫」「巡礼おつる」などがあります。

Q3.国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に選択された瞽女さんは何人いた?
①1人  ②2人  ③3人

【答】3人

日本で最後まで瞽女が残った新潟県には3人の重要無形文化財保持者がおられました。
刈羽瞽女の伊平タケさん(1886〜1977年) 昭和45年(1970年)に重要無形文化財保持者に
高田瞽女の杉本キクイさん(1898〜1983年) 昭和45年(1970年)に重要無形文化財保持者に
長岡瞽女の小林ハルさん(1900〜2005年) 昭和53年(1978年)に重要無形文化財保持者に

Q4.毎年5月13日に高田にいるすべての瞽女が集合した寺町3丁目の天林寺のご本尊は?
①毘沙門天  ②弁財天  ③大黒天

【答】弁財天

上越市寺町通りの一番北側に瞽女寺天林寺があります。普段、ご本尊の弁財天は御厨子の中で大切に保管されておりますが、毎年5月13日の妙音講にはご開帳されて高田中の瞽女さんが集まった前で和尚さんから瞽女の掟と罰を定めた「瞽女式目」と、瞽女の由来を述べた「瞽女縁起」が読み上げられました。この妙音講は、瞽女にとって、もっとも大切な行事であり、遠くの旅に出ていても必ず帰って参加しました。天林寺の御本堂の前には、瞽女さん達が香りを楽しんだ牡丹の花が、今もなお咲き誇っております。