ここらオタクイズ vol.10「相馬御風ってどんな人?」答え

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vol.10「相馬御風ってどんな人?」の答え

糸魚川が生んだ文人・相馬御風にまつわるクイズです。
出題者:糸魚川歴史民俗資料館(相馬御風記念館)
糸魚川市一の宮1丁目2−2
025-552-7471

Q1.御風が作詞した有名な童謡は?
①赤とんぼ  ②ぞうさん  ③春よこい

【答③】春よこい

大正12年3月1日発行「金の鳥」3月号で発表されました。作曲は弘田龍太郎。みいちゃんのモデルとなったのは御風の長女文子(あやこ)と言われ、長い長い雪国の自然と春を待ちこがれる童心を歌った曲です。また、御風は3人の子どもを幼いうちに亡くしているので、この〝春への期待〟のうちには、無事に子どもが成長することを願う親の心も込められているようです。

Q2.御風が生涯を通して研究した人物は?
①良寛  ②上杉謙信  ③ソクラテス

【答】良寛

御風は大正5年、33才ですべての名声を捨て、突然糸魚川に退住します。「本当の自分」を取り戻そうと、生き方のモデルとして選んだのが良寛でした。御風の良寛研究はいわば自分探しの旅だったと言え、一旦挫折した自分自身と重ね合わせることで、多感多情の人間良寛の生き方を世の人に知らしめました。三十数年に及ぶ良寛研究の成果である代表的著書『大愚良寛』は多くの人に読まれ、會津八一は、御風の語る良寛は「良寛であると同時に相馬御風彼自身でもあった」と述べています。

Q3.御風の幼少の頃のあだ名は?
①たまねぎ  ②こんにゃく  ③ごぼう

【答】こんにゃく

少年時代の御風は痩せていて小柄、見るからに弱々しい子どもでした。明治29年4月、御風少年は現在の新潟県立高田高等学校の前身、高田中学校へ進学します。3年生の時に下宿していたのが代々榊原家の家臣だった「庄田家」。後に御風はこの庄田家で「徹底した古武士的訓育を受けてその薫陶により、それまで脆弱であった心身に剛気精悍な気風を培われた」と述懐しており、見事に“こんにゃく”から脱皮しました。

Q4.御風が発行していた雑誌の名前は?
①野を歩む者  ②ホトトギス  ③明星

【答】野を歩む者

昭和5年に「一人雑誌『野を歩む者』」を創刊し、昭和25年までの21年間で85冊を出版。御風はこの雑誌について次のように述べています。―何ものにも煩わされずに、自由に、気楽に自らを語り得るような発表機関が欲しいとは、永い間の私の念願でしたが、今度いよいよ思い切ってそれをやって見ることにしました。即ち私一人の雑誌『野を歩む者』の発刊です。―

Q5.御風の実家が代々専門にしてきた家業は、どんな仕事?
①薬剤師  ②宮大工  ③塾講師

【答②】宮大工

相馬家は代々寺社建築を業とし、江戸時代には糸魚川藩から普請棟梁として苗字帯刀(一部の者のみ認可)を許される程でした。例えば、現在も良寛の詩碑(相馬御風筆)が立つ直指院(じきしいん)(曹洞宗。糸魚川市本町)の山門などは相馬家による製作だったことが知られます。なお、①と③は、直接相馬家が関わったわけではありませんが、こちらも同じ頃糸魚川で栄えた①薬屋と③塾の事例(大野屋薬局や静意塾など)が知られています。

Q6.島村抱月と相馬御風が手がけた流行歌は何?
①ゴンドラの唄  ②カチューシャの唄  ③宵待草

【答】カチューシャの唄

「カチューシャの唄」は「復活」という舞台の劇中歌でした。一番を島村抱月、ほかは御風の作詞、作曲は中山晋平です。劇中で歌う松井須磨子の歌は評判になって大流行、「復活」も大反響を呼び、そのレコードは‟流行歌”第一号となりました。