ここらオタクイズ vol. 31「奴奈川姫(ぬながわひめ)って知ってる?」答え(2023年10月号掲載)

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紀元2・3 世紀ころ一大巫女王国を築いた「奴奈川姫」についてのクイズです。
出題者:糸魚川市の「奴奈川姫歴史教育研究会」﨑野屋良榮門

Q1.奴奈川姫はどこに住んでいた?
①能生の権現岳  ②黒姫山の福が口  ③頸城郡の奴奈川神社がある近辺

【答】頸城郡の奴奈川神社がある近辺

糸魚川市史をまとめた青木重孝は、能生の権現岳や黒姫山の福が口に住んでいたとする説は後世の創り話で事実を反映していないと言っています。それは霧がかかるような高い山に住まなくてもいくらでも適当な場所があったからです。わたしたちも奴奈川族の拠点だった姫川から海川のあいだの一画だったと考えています。そこにはむろん神社や史跡が集中していますので、正解と言えるでしょう。

Q2.奴奈川姫は大国主(おおくにぬし)の何番目の妻だった?
①最初の妻  ②3番目の妻  ③妻ではなく恋人だった

【答】3番目の妻

奴奈川姫は14・15 歳のころ大国主と結婚し建御名方(幼名=御穂須須美)を生みます。大国主には正妻の須勢理姫があり、妃として神屋楯姫がいました。その他にも妻や妃があちこちにいたようですが「古事記」、「旧事本紀」には3 番目の妻として書かれています。

Q3.大国主が奴奈川姫と結婚した狙いは?
①北陸地方の権力 ②奴奈川姫とヒスイ ③北陸地方の鉄

【答】奴奈川姫とヒスイ

当時は統治者が女性だった。高天原の天照大神、邪馬台国の卑弥呼、高志国の奴奈川姫など。それは巫術(呪術)は女性の領分だったからで、大国主は統治に欠かせない巫女の「奴奈川姫」と呪物の「ヒスイ」の両方を狙っていたと考えられます。それは大国主は日本の国づくリをしようとした神だからです。

Q4.奴奈川姫は大国主がいる出雲に行った?
①出雲に行って御穂須須美(建御名方)を生んだ  ②能登まで行ったが途中で帰っている  ③出雲には行っていない

【答】能登まで行ったが途中で帰っている

奴奈川姫についての史料がないので分りません。当時は文字がなかったので確かなことは言えませんが、伝承では途中で帰ってきたと言われています。たぶん国元の両親や一族のことが心配になったからではないか、と言われています。